2019年度 春学期卒業式 式辞

2019年度 春学期 卒業式

本日、桜美林大学学位授与式において学位を取得される皆さん、また、日本言語文化学院を修了する皆さん、卒業おめでとうございます。また、これまで学生さんを支えられてこられた保護者の方々にも、お祝いを申し上げます。そして、学生さんの学業や生活を親身になって支え、その成長を見守ってこられた教職員の皆さんにも感謝を申し上げます。

今日は皆さんを祝福するために、最前列にご出席頂いている学群長の先生方を紹介させてくだい。まず、リベラルアーツ学群長の堀潔先生、芸術文化学群長の堀川幹夫先生、ビジネスマネジメント学群長の山口有次先生、健康福祉学群長の宮崎光次先生、グローバルコミュニケーション学群長の足立匡行先生、日本言語文化学院長の張平先生、図書館長の鷹木恵子先生。

また、今日入口のところで皆さんにストールをお渡ししましたが、これは、校友会からのプレゼントです。本日は、校友会の会長さんがいらしていますので、紹介します。小磯明校友会長です。

そして壇上にいらっしゃる方々を紹介しますが、まず、桜美林学園理事長・学園長の佐藤東洋士先生、本学チャプレンのジェフリーメンセンディーク先生、副学長の長田久雄先生、同じく副学長の田中義郎先生、同じく副学長の馬越恵美子先生です。

司会は土橋敏良先生、オルガニストは横山正子先生です。

そして、お世話になった先生方も皆さんを祝福するために、たくさんいらしています。

こうやって皆さんの卒業を、多くの大学関係者と一緒に祝福できることを、学長として本当に嬉しく思います。

さて、今日は卒業式ですので、桜美林での学生生活はこれで終わりです。明日から、また新しい1日が始まります。これはよく知られていることですが、卒業式のことを英語で、Commencement といいます。Commence という単語は動詞で、「何かを始める」という意味ですので、卒業とは終わりではなく、始まりなのです。ですから今日はまさしく皆さんの人生の、大きくて新しいターニングポイントだといえます。

皆さんが明日から新たな一歩を踏み出す前に、今日のうちに、学生時代の学びを総括しておきたいと思います。みなさんは今日、大学の学士課程や大学院の修士課程、博士課程、また、日本言語文化学院の課程を修了しましたが、何を修了したのでしょうか?

もちろん、それぞれの学群や大学院、日本語別科の課程で、自分の専攻や専門のプログラムを中心に勉強したと思います。また、知識だけでなく、資格や技能を取得したり、留学やボランティア、クラブ活動などの経験も、積み重ねたりしたことでしょう。

一般的には、大学の学位や修了証は、高度な専門や幅広い教養を修めた証明書ということになります。ただ少し、これには補足が必要です。皆さんが修得したのは、単にひとつの専攻や専門に基づく学問体系を勉強したということだけではありません。みなさんは、これから直面するであろう未知の問題や課題に立ち向かえる力や、自分の力で知識や技術を開発するための基礎的な技能も修得しているのです。

思い起こせば、いろいろな授業を履修したことでしょう。哲学、心理学、経済学、教育学、物理学、数学、美術、音楽など、様々な分野があり、そしてその学問の対象に関する知識や技術を学んだと思いますが、それと同時に、このような対象について、これからも続けて学んでいく方法も身につけているのです。

例えば、現象を観察して記録したでしょう。仮説をたてて、実験を行ったでしょう。データを集めて分析したでしょう。理論を使って現象を解釈したでしょう。因果関係や相関関係を発見して、仕組みを理解したでしょう。認識できるのに、それを表す言葉や計算式が見つからなくて、表現に苦労したことでしょう。そして、クラスメートや先生と、話したり、聞いたり、書いたり、読んだりする中で、その議論を検証したことでしょう。

つまり、知識を増やす方法、一種の発見術、発想法、わからないことに対応する方法、解決策を見つけていく方法などを、いろいろな授業を通して習得しているのです。この柔軟で知的な技能、いわゆる「学術」が、みなさんのこれからの人生を支える力強い味方になりと思います。

それからもうひとつ大事なことは、皆さんが個人として、社会的な存在として大きく成長したことです。大学生活におけるいろいろな人とのつきあいの中で、自分や他人について深く考え、社会で生きぬく知恵や、適切なコミュニケーションのあり方などについて、自分なりの発見があったことと思います。また、これからの自分の人生や、その生き方についても、考える機会があったことでしょう。

そのように考えると、大学は、学術の修得のみならず、人格形成のための時間と場所でもあったのです。生きる上で、自分の思いや考え、判断や行動の基準となる精神的な土台を固めてきたということです。その土台は、これからの自分の人生を有意義で豊かなものにしていくための重要な軸となります。

さて、みなさんも在学中に何回も耳にしたと思いますが、桜美林大学のモットーは、「学而事人」です。学びしこうして人に事(つか)える、と読み下します。学んだ事を人や社会のために活かすとか、他者に仕えるために学ぶといった意味です。

入学した頃は、この「人に仕える」という部分が、なかなか受け入れられなかったのではないかと思います。「自分の夢や希望を叶えるために、大学で学ぶのではないのか?」とか、「なぜ、自分の時間とお金を費やして学んだことを、人のために使わなければならないのか」とか、「人に仕えるというのは、君主や上司に仕えるというような印象があり、かなり従属的で、そんな人にはなりたくない」など、このモットーを受け入れるには、ハードルが高かっただろうと思います。

この「学而事人」の意義を理解する方法として、ひとつには、自分だけで社会が成り立っているわけではないことに気づくことが大事です。いろいろな人が様々な仕事や奉仕を通して他者を支えてくれているおかげで社会が成り立っており、私たち一人ひとりは、誰かの仕事や奉仕の恩恵を受けていることに気づくということなのです。

自分も他者を支えているけれども、同じように他者に支えられているということ。そして、このような社会の中に自分を置いたときに、自分はどんな仕事や奉仕を通して、他者を支えられるのだろうか、社会に貢献できるのだろうか、何を社会に還元できるだろうかという見方ができるようになると、学而事人の中の「人に仕える」という意義を、素直に受け入れられるようになります。

学んだ内容が深ければ深いほど、また、身につけた技能が高ければ高いほど、他者に還元できること、社会に貢献できることの規模や重要性が大きくなりますので、多くの人々に感謝されながら生きることになるでしょう。皆さんの働きの対価も高くなるでしょう。その意味では、大学を卒業して、学而事人の精神で頑張ることは、そのまま、充実した人生につながります。

実はこの学而事人をさらに深く理解するために、もう一歩先に進むことができます。本学が、キリスト教精神に基づく学校であるということに、そのヒントがあります。全国にあるキリスト教学校の教育は聖書を土台にしている場合が多く、聖書の言葉を学校の教育方針に反映させています。例えば、よく使われる言葉として、「あなたがたは世の光である。あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」(マタイ)とか、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(マタイ)などがあります。これらは比較的理解されやすい言葉だと思います。

ところが、少しハードルが高い言葉も聖書には出てきます。例えば、「敵を愛し、あなたがたを憎む者に、親切にしなさい」とか、「誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」とか、「あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない」などです。これらの言葉は、私たちの常識や社会通念ではなかなか理解しがたい教えなのですが、もっと困惑するのは、これらがすべて、他人との関係を表す教えであるからです。

しかし、戸惑いながらも読み進めて、別の言葉を見つけると、その理解のための糸口が少しだけ見えてきます。例えば、「自分を迫害する者のために祈りなさい」といったような言葉です。自分に害を与えるものを憎んだり、対抗したり、裁いたりするのではなく、「祈る」ことが説かれています。ここでいう祈りとは、そのような害悪を与えるような人々が、正しい人になれるように、善良な心を持てるように祈るという発想なのです。

なぜそのような発想になるのか。別の箇所を読むと、次のように書いてあります。「神様は、悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである」と。そして、「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」と締めくくってあります。天の父は、善も悪もすべて引き受けられる、寛大な存在なのです。

したがって、学而事人の、「人に仕える」という部分は、自分の好きな人や知っている人、自分に好意を寄せてくれる人、自分の味方だけに仕えるということではなく、相手が誰であっても、分け隔てなく、公正、公平に接しなさいと教えているわけです。これは、自分中心の欲があると、なかなかできないことですし、これができるようになるということは、かなり寛容・寛大で、慈悲深く、心が強く、考えも大きい人になるということです。

実は、自分の中にも、善と悪があって、自分が行った悪は、見て見ぬふりをすることがあります。自分の悪は、許してしまっているのです。そして、生きる中では、自分にとって良いことも悪いことも、いろいろと起こります。悪いことはできるだけ避けたいものです。しかし、起こることはすべて、自分がさらに成長し、完成された人間になれるための機会だと捉えることが大事で、完全な人になりなさいというのは、いいこともわるいことも、すべて引き受けなさいということなのです。この考え方が学而事人に含まれており、その実践が、豊かで祝福された人生に導かれるということです。

桜美林大学を卒業する皆さんは、この学而事人の精神を土台とした教育を受けてきました。自分のこれからのミッション、使命を定め、ビジョン、ゴールを設定して、学而事人の精神のもと、学んだことを他者のため、社会のために、活かして頂きたいと願っています。きっとそれが、生きがいのある充実した人生につながると信じてほしいです。

桜美林の同窓生はすでに10万人を超えており、世界中に、皆さんの先輩がいます。きっとそのネットワークが、皆さんのこれからの活躍を支えてくれると思います。そしてまた、この桜美林大学とのつながりも、大事にしてほしいと思います。必要なことが出てきたらまた、ここで学んでください。

これをもって、私の祝辞といたします。ありがとうございました。

© HIROAKI H. HATAYAMA 2018