最近、キャッシュレスが浸透してきて、紙幣や硬貨を使う機会が少なくなってきました。
紙幣は紙切れ。硬貨は金属に過ぎないのですが、それを「お金」と認識すると、急に「価値」が発生し、大事に扱うようになります。
電子マネーも、見た感じはただの数字ですが、金額を表す数字だと認識すると、これもまた急に「価値」が発生し、その数字を確認するようになります。
紙幣にしても、硬貨にしても、電子マネーにしても、「数字」が基本的な単位となっているので、どうしても固定的な価値として捉えがちです。つまり、千円、5千円、1万円と。
まるで揺るぎない一定の価値であるかのようです。
ところが、通貨として、為替レートの変動などを持ち込んでくると、この安定感が簡単に崩れます。
今、手に持っているのは、1万円札で、1万円の価値があると思っているのですが、為替レートの変動により、1万2千円の価値に上がっていたり、9千円の価値に下がっていたりします。いわゆる円高、円安の世界です。
物もそうで、世の中にたくさん出回っていると、その単価は安くなり、稀少になってくると高くなったりします。いつも農作物の出来具合がニュースにな流のは、それによって物価が変わるからですね。
そう考えると、お金の価値が急に不安定になり、紙幣や硬貨、電子マネーの数字が、絶対のように見えて、実は相対であり、価値がぐらつくことがわかってきます。
経済学の初歩で学ぶのは、需要と供給のバランスですね。固定費と変動費を設定しながら、需要と供給のバランスをとり、値段を決めて、もっとも安定して利益が出る接点を定めていきます。
そして、特に重要なのは、客が、その提供している「商品」や「サービス」に対して、 Willing To Pay、つまり、支払いたい気持ち、支払いたい額のターニングポイントを探し当てることなのです。価値のバランスが取れるポイントですね。
私たちも、仕事の中でいつも、お金のことを考えます。給料が安いとか、投資が少ないとか、税金が高いとか、授業料が高いとか、、、、。
でも、逆にその金額の対価としての対象を考えることも必要です。人が価値を感じ取るものには、自然とお金がついてくるからです。
自分たちが作り上げる教育プログラム、自分たちが取り組む仕事、それぞれの責任の重さ、様々な場面での行為など、個別の価値があるはずです。その価値が上がれば上がるほど、対価としてのお金は、自然に上がってくるわけです。
であれば、お金から先に考えて、実情がそれに合っているかというよりも、実情に懸命に取り組んだ結果、その価値が認識され、対価が増えてくる。そんな考え方もできると思います。
そしてそれは一定以上の規模になると、自分や他人が判断するというよりも、今日の聖句にあるように、懸命に取り組んだ結果は、天に任せればいいのです。
人事を尽くして天命を待つ、という諺もありますが、まさしく、その価値はプライスレスになるかもしれないのです。
あまりにも貴重過ぎて。
ある程度のところまでいったら、突き抜けることです。恐れてはダメです。その突き抜けるような仕事ができるときに、結局は、今日の聖句である、真実なこと、気高いこと、正しいこと、清いこと、愛すべきこと、名誉なことを、やりきっていることでしょう。そして、賞賛に「値する」ことを成し遂げているはずです。
頑張ってください。
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賛美歌 528 あなたの道を
聖句 フィリピの信徒への手紙 4章 6~9
どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。
わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。
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