朝礼拝 4月 2019

企業のトップや大学の学長と話す機会が多いのですが、最近よく聞くのは、先行き不透明な時代なので、投資の判断が難しいということです。将来予測をどのように行うかです。

社会が急激に変化する社会なので、先を読むことが難しい。

これで思い出すのは、私が桜美林に勤め始めた頃、隣室にいた先生のことです。着任時は研究室が足らず、最初は大部屋にいましたが、そのうちにプレハブ小屋が建てられ、その小さな部屋に二人で入る研究室が与えられました。

最初のルームメート(笑)は、今、早稲田の国際教養学部の教授になっている飯野先生、そして、その次は、今、同志社の教授になっている小崎先生。

二人にはずいぶん、助けられましたし、学びも多かったです。

そんな中、隣室に、安宇植(アン・ウシク)先生という、朝鮮文学、翻訳の権威の先生がいました。安先生は、ものすごい速さで研究を進め、大量の論文や著書を書きあげている人でした。

英語で何かなさらなければならない時に、私のオフィスにきて「ちょっと手伝ってよ」という感じで、何回も先生のオフィスにいき、手伝ったことを覚えています。

ある時、韓国で学会があって、一緒にいきました。学会から帰る飛行機の中で、並んで座って帰ってくるときに、思い切って聞いてみました。

「安先生、すごいスピードで著書を出されてますが、何かコツがあるのですか?」

これは研究者が研究者に向かって聞くようなことではないのですが、私も駆け出しだったことをいいことに、聞いちゃったのです。

先生はこんなくだらない質問に答えないと思ったのですが、ひとこと、本当にひとこと、

「見当をつけるんだよ」

とおっしゃいました。

資料やデータがある程度、そろったところで、「こうなんじゃないかな」っていう見当をつける。

それは、学術スキルでよく聞いていた「仮説」とはまた異なることでした。安先生は、まるで「探偵」のような、印象を受けました。

「そうか、持っている証拠品で、見当をつけるのか、、、、」

それから資料の集め方や、読み方が、変わったことをよく覚えています。

生産力を上げるためには、やっていることに見当をつけること。考えるツールとしては、定義や論理的な関係、つまり、因果、相関、比較や対象、類似、頻度、パターン、モデルなど、いくらでもある。

ただ、これらのツールを使いこなせるかどうかは、その考え方、つまり、見当をつけることにかかっているわけです。

さらに、将来を予測する、予見するために、ふたつ重要なことがあります。一つは、よく言われるように、「森を見て木を見ず、あるいは、木を見て、森を見ず」です。もう一つは、「今を過去からのつながり、あるいは、今を、将来への起点」として考えること。

これらをしっかりと意識しないと、読み間違えてしまいます。

つまり、空間的、時間的、コンテクストの中で、「今、これ」を位置づける中で、見当をつけて、これからの変化を読むということです。

この予見を、皆で共有すれば、今日の賛美歌や聖書箇所の教えも、活きてくると思います。


賛美歌 411 うたがい迷いの

聖書箇所 コリントの信徒への手紙1 1−10

© HIROAKI H. HATAYAMA 2018