朝礼拝10月

私は2009年に、在職しながらボストンにあるMITの大学院に留学する機会を与えられました。正規留学で、MBA取得を目指す課程に入り、1年2ヶ月で、無事に学位を取得しました。

米国の大学院には3度目の留学で、それぞれ、M.A.、M.B.A.、そしてPh.D.を取得しています。ですから合計8年近く、米国の大学院に在籍したわけです。恵まれていますね、自分でもそう思います。

MITはボストンの中でも、ケンブリッジにありますが、すぐ近くにHarvardがあります。クロスレジストレーションといって、どちらかの大学に在籍していれば、もう一方の大学のコースも一定程度、科目の履修が許されます。私のMITでのMBAの指導教官は、Harvardの教授でした。

このふたつの大学は、まったく校風、カラーが異なるのですが、それを表すにあたり、面白い話がありました。

世界のどこかで深刻な問題が発生した場合、Harvardの学生は、何が起こり、何が原因で、何をどのようにすればいいか、徹底的に議論する。そこには、何が正しくて、なにが間違っているかも含めて、論理的な精査が行われる。

一方、そうやって、Harvardの学生が延々と議論を続けている間に、MITの学生は、さっさと問題の現場にかけつけて、技術で問題を解決してしまうという。

クスっと笑える、シンボリックな話でした。

MBAのプログラムでは、マネジメントに必要な知識や技能を短期間に徹底的に修得します。ミクロ経済学、マクロ経済学から始まり、アカウンティング(会計学)、ファイナンス(財務)、マーケティング、セールス、サプライチェイン、ストラテジー、データ分析、統計学、人事管理、法律など、ビジネスを構成するほとんどすべての要素を、深く、広く、かつ、早く、確実に身につけられるように、プログラムが構成されています。

ほんとに、1日24時間、ずっと勉強しているか、クラスメートと議論しているか、宿題に取り組んでいるか、ワインを飲んでいるかの毎日でした。

それで、このプログラムの最後の最後に何をしたかというと、組織論と文化論と、倫理でした。つまり、組織のエグゼクティブとしての立場に自分が置かれた場合、マネジメントで最も大事な、倫理や組織運営や、コミュニケーションといったところです。

具体的に何をしたか。映画をたくさん観ました。それも、必ず何かしらの「葛藤」が入っている映画で、主人公が紆余曲折の結果、最終的な決断や意思決定、行動を決めなければならないものばかりです。葛藤なので、Aを選べば、Bを捨てなければならないとか、あちらを立てれば、こちらが立たず、的な。

ビジネスにおける、トレードオフですね。

これはまさしく私にとっては、文学でした。MBAの最後のステージは、かなり文学的でした。私のPh.D.は文学なので、「ここで繋がるのか!」的な感じが非常に面白かった。

で、最後のメッセージは、経営トップが重要な判断を下す時に、もっとも重要なことは、謙虚さ、へりくだること。

これは、単に、トップとして謙虚でなければならないとか、謙遜するべきとかではなく、最も重要な局面でこそ、そのような気持ちにならないと、聞く耳を持つとか、事実や意見をしっかり聞き分けることができないという、かなり戦略的なことでした。

判断は意思決定を間違わないようにするためには、その時その場面で最も重要な情報を持つことが必要で、上位職になればなるほど、思い込みや自分の価値基準にのみ頼った判断をするようになり、様々な情報を聞きのがしてしまうことのリスクへの警鐘でした。

そうです。

素直になるということは、オープンに様々な声を聞き入れることができるということ。その上で、権限を有しているのであれば、それとして、その立場の人間として、最適な判断をできるということなのです。

今日の聖書の箇所と賛美歌は、そのようなことを合わせ知り得るように選びました。

聖書箇所: フィリピの信徒への手紙 第2章 3節〜5節

賛美歌: 471 勝利をのぞみ

へりくだることが、結局は、勝利につながるというわけです。

そんな話でした。

終わり。



© HIROAKI H. HATAYAMA 2018