学術と信仰について、考えることが多くなった。
たぶん、学生や教職員に対して話すだけでなく、学外で、大学とは直接関係ない人たちに対しても話す機会が増えたため、基本的なことから話さなければならないことが多くなったからだろう。
というのも桜美林の建学の理念が、キリスト教主義教育に基づく国際的な人物の育成を謳っているからだ。
だからキーワードが、学術(大学としての教育研究)と信仰(キリスト教主義)になるということ。
学術とは、わからないことを解明し、そこに認識できる一般的な原理や法則を発見し、わからないことによる恐れや、できないことによる不自由さから人間を解放しようとする努力すること。
大学は、徹底的に学術を追求するべきであるし、それが使命だ。
だが、やはり学術には限界がある。人間が存在する始まりでさえ、まだわかってないし、世の中にはまだまだわからないことがいっぱいある。
そして、一生懸命勉強して、学術を修得して、自分の知識や技能、経験などをフルに活用して生きていても、失敗したり、うまくいかなかったり、不安になったり、落ち込んだり、意気消沈したりすることは、ある。
人とぶつかったり、人を信用できなくなったり、また、人から信用されなくなったりすることもあるだろう。
人との関係の中だけで考え込んでも、埒(らち)が明かない、そんな時に、信仰が登場する。誰も自分をわかってくれないけれど、かみさまだけはわかってくれる、とか、どんなにうまくいってなくても、頑張っていれば大事なところで、かみさまが背中を押してくれる、とか、かみさまは自分を祝福してくれている、など。そんなのが信仰。
かみさまが本当にいるかどうかはまったく問題ではなく、自分のそばにいると信じることで救われるのが信仰。そういうふうに信じることで、絶望的な気持ちが救われて、生きる力となり、また、立ち上がれる。そんな感じ。
なので、実は、学術と信仰のセットは最強。学術と信仰を極めていけばいくほど、知的にも精神的にも、かなり強い人間になる。
本気でかみさまを信じている人は、めげないし、あきらめないし、何回でも立ち上がる。
改めて、桜美林の建学の理念を考えれば、学生さんには、知的にも精神的にも強くなってほしい。